-世界を手に入れても-

長い夕日が裾を広げ、沈む気配もなく輝きを増す。
異な光に侵された人間界へとモリガン=アーンスランドは舞い降りた。
何かに惹かれ、はやる心を抑えながら。

地上を遠く睥睨して、そびえ立っていた白い城は
宇宙からの脅威に無残に砕け、瓦礫と化して横たわっている。

あの男が、本当にこんなにあっけなく倒されてしまったのなら、彼女一人の力では苦戦すること必至だ。
魔界全体の協力は望めない。有力貴族たちの中には、魔界を統率するアーンスランド家の弱体化を
ひそかに期待する向きもあるのだ。自分たちの手は汚そうとはせずに。
それでもモリガンにとって、闘いが厳しいものになるという見込みは
心を曇らせるというよりも、胸躍らせる興奮と歓びをもたらすものだった。

もしかしたら、彼にも自分と似た部分があったのかもしれない。
権力欲や勝利の味わい以上に、生命の輝きを感じる瞬間に魅せられているようなところが……。
やり方次第では、闘いの最中に身をおかなくても済む。敏く立ち回り、傍観者を決め込むことも出来る。
自らねじ伏せずとも、滅びるべきものは勝手に朽ちてゆくだけだ。そしてそれが相応しい。
ひとたび勝負に身を投じたのなら、善戦した、敢闘したなんて何の意味もない。
敗北したらそれが全て。それで終わり。そういう道を自分で選んだのだ。あの男も。
敗者への哀れみなど、持たない。


崩れた城の中で静かに横たわるその姿を見出したとき、不思議な感慨があった。

瓦礫も、やがては消えて塵になる。
この城も、彼の肉体も、人間界から消失し闇の奥に還っていくのだろうか。
魔界ではもう、その名が人の口に上ることもなくなる。

けれどあなたは後悔していないのでしょう。挑戦し続けて。敗れることを恐れはしなかったのでしょう。
あなたはまた長い眠りについて、いつの日にか目覚め、頂点を極めようとするの?
デミトリ……。

倒れた男のかたわらに跪き、そっとその体に触れる。
闘気が消え果て、精気も失われて、息もないように思われた。
冷えた心臓が闇の底で鼓動する響きが静かに伝わる。


衝撃が肩にかかった。
一瞬の間をおいて、焼けつくような鋭い痛みが走る。
――ッ。
息を詰め、痛みに耐えて吸血鬼の牙を受けたのだと気付いたときには
既に、がっちりと太い腕に捕らわれていた。

鋭く尖った牙先が、彼女の内に深く食い入る。
静かに強く吸いあげられ、喉元から熱と痺れが広がっていく。
不思議なほど危機感はなかった。
攻撃の意図はなく、溺れて孤立無援の状況で唯一つの光明を見出したように
よすがを求める舌が頼りなげに震える。

至上の美酒の味わいを堪能する余裕もなく、
ひたすら渇きを癒す水を欲して、生への執着を見せている。
苦しそうに息を荒げながら唇を離そうとはしない。
そんなにも求められて、自身が与えられるものなら、与えてやりたいとさえ感じ
モリガンは幼い命へ授乳するように、そっと自らを開いていった。

次第に活き活きとした精気が甦っていくのが感じられる。自分の血で。
消えていた気配が、空間を制するほどに色濃く満ちていく。
吸われているのに、そのエネルギーとオーラの高まりに、
魂まで熱く火照り、彼女自身の力が増していくように思われた。

「……あ…ぁぁ…」
モリガンの唇からは、艶やかな溜息が漏れた。
感じていたい。もっと。その強さと輝かしさを。それこそが望んでいた姿だった。
男の腕の中で詰まる息が、長い愛撫を受けているような響きを帯びる。

実際にそれ以上の昂ぶりを感じていた。漲る気迫が彼女を煽りたて身を捩らせる。
知らず知らずのうちに、その頸に腕を回し、抱き寄せて、甘い喘ぎ声を上げていた。
まるで愛を交し合っているかのように。

無心に血を吸っている彼の瞳はまだ何も映していない。
力を取り戻し、目覚めたとき、
彼女によって救われたと知ったら、誇り高き吸血鬼はどんな顔をするのだろうか。

*

「モリガン=アーンスランド……。何故、ここに」
目前の彼女の姿を認め、我に返った様子で、彼は口を開いた。
強く抱き合い、求め合っていたのが他人事のようだった。

「そうね、強い男にしか興味がなかったのに、おかしいわね……こんな負け犬のところに」
吸血鬼は口を拭う。
「……礼は、言わぬ」

「ふふ、本当に、変ね。あんまり退屈だから、あなたの行く末を見届けるつもりだったのかしら」
「私には未来がある……。お前も知るとおり、魔界を統べる王となる定めが」
あなたの未来……。
モリガンは微笑んだ。

嘲られたと感じてか、吸血鬼の口調が険しいものになる。
「我が力、疑うのなら……その体に直接教えてやってもよい」
「……違うの、そういう意味ではないわ」
「ではどういう意味だ」

生真面目な表情を向ける男に、悪戯心が芽生えたサキュバスは、黙って口付けた。
柔らかく触れ合わせた唇から、戸惑いは一瞬で消え去り、明確な意思を持って彼女の唇が塞がれた。
まだ血の匂いがする。
舌の先から鈍く響くような痺れは血の味のせいか、その情熱によるものなのか……
考える前に応じていた。やや性急に舌が絡めとられ、一瞬怯んだ隙に
彼女の体は素早く、弾き飛ばされるように倒され、開かれた両脚の間に漆黒の影が圧し掛かった。
闇の眼窩に紅い瞳が雄雄しい光を放ち、彼女を見下している。

「どのような形であれ、私に挑む愚か者がいるのなら、お応えせねばなるまい。
二度とふざけたまねをせぬよう、躾けねばな…。たとえそれがアーンスランド家のご令嬢であろうと、だ。
逃げたくなったのなら、今のうちだぞ」
「あなたのほうこそ、今ならまだ引き返せるのよ。笑ったりしないわ」
デミトリは唇の端を歪め暗い笑いを浮かべた。

その目を見据えたまま、踵でマントを捲り上げ、締まった脇腹にめり込ませる。
尖った踵の先で二度三度と往復させてから、柔らかい太股を当てる。
返礼に、躊躇することなく固く大きな膝を腹の上に乗せられ、動きを封じられてモリガンは呻いた。

「……くっ」
「媚を売って、手加減してもらえるとでも思ったのか」
細い足首を掴み、辱めるようにゆっくりと大きく開脚させる。
身じろぎもしない彼女の様子を眺めて、素肌に張り付いたコスチュームに手をかける。

向こう見ずな男……。傷も癒えないうちに、自ら淫魔の領域に飛び込もうとするとは、愚直なまでに。
デミトリ……。

「違うの……」
彼の動きに先んずるように肌を覆っていた蝙蝠たちが四散する。
膝の裏にかかった手に触れ、そのまま撫で下ろす。

誘惑の蜜を香らせ、潤った秘所に吸血鬼は冷ややかな一瞥をくれた。
「どういうつもりだ」
「わからないわ、私にも」
「わからない? ふふ」
彼女の手をとり、彼女自身のそこに触れさせた。
力のない指がぬるりと滑り、閉じた花弁を押し開く。豊かに分泌された蜜がぴちゃっと音を立てて指先を濡らす。
……は…っ…、とサキュバスは小さく息を吐いた。
「物を知らぬ小娘ではないつもりなら、言えるはずだな。どうしてこうなっているのか」

モリガンの唇がまた、微笑みながら閉じられようとするのを見て、掴んだ手に更に力が込められた。
抗うように引き合い、どちらの力の加減かわからないまま、指先が繊細な縁取りを刺激する。

「どうして……かしら。あなたに聞きたいくらいよ。あなたのほうが、私の血を吸ったのよ」
ヴァンパイアは不当な言いがかりをつけられたような顔をしたが、そうか、と言って
小さく口を開けた花芯に、同じ色をした爪の先がのめり込むのを押し止めて、彼女の濡れた指を口に含んだ。
すくんだ指先を逃さず、温い舌が巻きつく。

視線を絡ませながら、その長い指が秘所に潜り込んだ。螺旋を描き、なだめるように襞筋に沿う。
思わずあげそうになる声を、喉の奥に飲み込む。
粗暴なふるまいなら、黙って受け流すのはたやすいことなのに、おっとりと、
そこにあるだけで十分な絶妙の位置に駒を留め置かれると
声を抑えることはできても、内側の、心の震えを制することは難しかった。
緩慢な動きの周りに波立ち、細かな気泡を孕んでざわめいている。
次第に蕩け流れ落ちそうに潤んでいく瞳がじっと見つめられる。

徐々に感覚に支配され、双方の意識が触れ合ったそこに吸い取られていき
互いの視線が同じ分だけ揺らいだ。
目を伏せて、挟み込み、その感覚をきつく捉えなおす。
吸血鬼が熱のこもった吐息を漏らす。
来るべきものの訪れを知って
引き抜かれる指に奏でられるように、甘い息が長く伸びた。

目を閉じる。別の感触がとってかわり、左右に開かれた狭間を、牙を研ぐようにゆっくりと滑る。
じわりと熱い起伏が、脈打つ刃渡りが、血の滾りを感じさせながらほころびかけた花唇を舐め伝う。
「あ……、んッ……ぅん……」
感じやすく小さく膨らんだ先端を、つっと圧して、唾液のたれる接吻のように
粘液の糸を引いて、遠ざかる。
何度目にか、波が高まったとき、今までにない重い抵抗を感じた。背筋を慄かせ、予兆に手を差し伸べる。
内から溢れ出たものが待ちかねたように、その研ぎ澄まされた闘志をとろりと熱いうるおいで包み込み
更に昂ぶる彼女の内面へと導く。

張り詰めたものがすべてを切り拓き、柔らかな肌理さえ散らそうとする。
そのしたたかな歯ごたえをサキュバスは堪能した。圧力に屈せず、なおも中枢へ食いさがる堅靭な気性を。
闇の奥行きを測るように底をずんと連続して突き抜かれ、埋めた淵の縁まで消えない波紋が伝わる。
深く貫いた先がぐりぐりっと限界ににじり寄るように迫り、忍耐を削り取るように小刻みに退く。

「ンっ……う…」
息を押し殺した様子を眺め、
「遠慮することはない。先刻のように、あられもない声をあげてみたらどうだ。……もっとも助けは来ないが」

揶揄する男を見上げ、モリガンは囁いた。
「……来て。あなたに、来てほしいの」
自ら身を投げ出すように突き上げ、熱り立ったものを深く受け入れようとする。

「ふ、いい度胸だ。報いてやるべきかな」
打ち解けない大きな抵抗を抱えたまま、引きずられるように柔肌が闇に呑まれる。
啄ばまれる乳首の先から突き刺すような快感が咥えた硬さにまで響く。

「ん……ンっ、ぁあ…、あッ……」
「どうやら、ご令嬢の弱点を見つけてしまったようだが」
「あぁ、ん…デミトリ……」
甘えるように腕を絡め、白い腰が軽やかな動きで貪欲に悦楽を引き出そうと寄り添った。
蜜腺の涸れることもなく、一番強く擦れ合う感覚の最前線で
同じ沸点を持った二人の昂奮が滑らかに溶け始める。

「素直だな……。こういう時だけか?」
「いつも、素直なのよ。……素直ないい男にはね」
サキュバスの接吻をいなし、瞳を覗き込むように表情を窺う。
「そうか。……では、もっとそうなってもらおうか。体だけではなく」

彼女の細い体を片手で軽々と抱き上げて、青ざめた首筋を優しく何度も吸う。
その唇に触れられるたびに、もどかしくなるような痺れが走った。破られずとも、肌の下で求めに呼応するように
彼女の血が接吻の痕に忠実に溜まって薔薇色の標を残していく。無意識のうちに内部が鋭く収縮を繰り返し、
裏襞の充血を見せて捻れた花弁の間から、乳色の蜜汁がたれ落ちて吸血鬼の下肢を染める。
「あ…ぁ……ハっ……ぁ……ぅく……」
「実に素直だ。お前の血も、お前の体も、……私を知るほどに」
黒い爪が柔らかな尻肉を掴み広げ、奥まで容赦なく責め苛み、更に激しい律動を送り込む。

「……んう、っ、く……、あ、……あ、……ぃく、く、っうっ……あ、あ、あっ、は、ぁっ……」
悦楽の波に襲われながら、夢中でその体に抱きついた。
全身に滾る闘気が彼女の体をも包み込み、共鳴して、心地よく纏いつく。
「あ…ぁ、……」
絶頂の慄きを感じ取ってか、あるいは警戒しているのか。微かに勢いが弱まり、膝が落ちる。
あぁ、やめないで。最後まで、きて。あなたの力を感じたいの。デミトリ。
あなたを感じていたいの。

その体をモリガンは抱きしめた。深部に至るまで、脈動の一つ一つまでを。
「あなたの力で、こんなに高揚しているの。わかる、でしょう。ああ……、
して……、したいようにして。いいの。もっと、あなたが気持ちいいように動いて……。
さっきしたみたいに。ぁ……あッ、んん……ん、デミトリ…ぁふ……、いぃ」

豊かな胸が潰され膨らみきった乳首が固い胸板にちぎれそうなほどに擦られている。
幾重にも巻きついたサキュバスの豊かな内襞が、捕らえた獲物を逃さんとばかりに急激に締め上げ、
同時に勢いを増した激しい突き上げを受け軋み悲鳴を上げるかと思われた。

「ああっ、はぁっ、ぁぁあ……ぁッぃい……あああ」
再び、牙を深く受けた瞬間に達していた。
間髪をいれず、熱い迸りが彼女の最深部へとなだれ込む。
その熱さを受けて引き攣れる体がしっかりと抱き寄せられ、
続く豪雨のような奔流が途切れず絶頂を叩き込んだ。
急激に吸い上げられて意識が遠のく。
天地を失い揺らいだ体を抱きとめて
そっと唇が触れあい、さまよう手が包み込まれる。

沸騰した自身の血が熱く全身の血管を灼き燃え上がらせながら、吸血鬼に奪われ
同じほどの熱が是非なく惜しみなく注ぎ込まれている。

注ぎ込まれたのは、彼自身がもともと持っていたものであり、
またそれは彼女の内側で長い間滾っていた焔と同じものだった。
噴きだす傷を持たず、涙となって溢れ出すこともなく、行き場もないほどただ熱く燃えていた血と。
それが最奥の芯を響かせ、劣らぬ激しさで彼女の胸を打った。

与えながらそれ以上に浴する、無限にも思われる力、際限のない高まりを
ああ、……彼も感じているからか。重なった体が同時に雷に打たれたように震える。
互いに何も言わなかった。ただ抱き合い、舌を絡めたまま鼓動を感じている。
同じ熱量を共有し、内なる充溢に身を委ね、感応に痺れていく。

言うとおり、この男は本当にすべてを支配するのかもしれない。
彼が魔界を手にする時、この世界はもっともっと面白く、かいのあるものになるのかもしれない。
魔界の未来はそこに、かかるのなら――
そして、私は……?
とモリガンは考える。黙って身を引き、その行く末を見届けてやるのか。
人間界には人間界の、目覚め始めた輝きがある。
そのように、より相応しい場所で熱い魂がまた一つ、燃え果てるさまを見守るのか。

*

「まだ魔界を目指す気でいるのなら、私をどうするおつもりかしら?」
デミトリは不敵な笑みを浮かべた。
「私が真にすべてを支配する男だと、悟ったようだな」
小馬鹿にしたような口調だが、その裏には確乎たる信念が窺える。
「魔界にはもはやアーンスランドの威光は必要ない。
……お前の血は実に美味かった。魔王家一族のラベルなどなくともその価値は変わらぬ。
モリガン、選ばせてやろう。我が寵を受け生を全うするか、命を賭し全力で雌雄を決するかを」

「ふふっ、なかなかおもしろいご提案ね」
傷口に触れている、その手をそっと外して優しく包み込み、甘い声で答える。
「だけど、私がどちらを選ぶかは……はじめからお分かりのはずだわ」

「そうかな? どちらにしても、退屈はさせないつもりだが。
……まあせいぜいよく考えるがいい。城を追われるまでにな。お前に残された時間はそれほど多くはない」

「そう願っているわ。期待はずれに終わらないといいのだけど。
……本当に、飽き飽きしているのよ、今の魔界には。フフ……、しっかりね」
素直とはほど遠い態度で、吸血鬼はフン、と笑い視線を逸らせた。
終末の光が、傷ついた城を照らす。その地平を見据えている。

少なくともこの男は、腐りきった貴族の腰抜けどもや意気地なしとは違う。
魔界の支配者に敗れ去り、宇宙の支配者に叩きのめされても、
潰えることなく更なる野望に熱き命を燃やす。
見込みは間違っていなかった。確かに悪くない男だ。

彼が魔界を揺るがす時、この世界はもっともっと面白く、かいのあるものになるだろう。
退屈とは無縁に過ごせそうだ。殺し合う道を選んでも、違う道を選んでも、
あなたが本当に、すべてを手にする日が来るのなら……


けれど、
もしも私の心を手にしたら、
その高く固い志は、それでも揺らがずにいられるだろうか。
なお誇りを保ちその信念を貫いて、堕ちずにいられるものだろうか。

――そうは思わない。

だから、私は、
最後までこの心を渡さずにおく。自分からは決して。
欲しければ奪い取ってみせるがいい。臆することなく。
恐れを知らぬ吸血鬼、彼はきっと、必ず、そうするだろう。
確かに、私は知っている……。あなたの未来、あなたと私の、運命を。




2007.08